こんにちは。
セルフカウンセリング®という心理学(自己発見心理学)に基づいて、企業研修としてコミュニケーショントレーニングを行ったり、コミュニケーショントレーナーの資格取得のためのセミナーを企画運営しているNPOです。
ホームページのリニューアルに伴い、2022年5月から理事、監事が交代でブログに投稿することになりました。
内容はセルフ・カウンセリングに関わって感じた各人の感想、思いつき等なんでもありです。
あくまでも個人としての自由な意見・考え方です。
セルフ・カウンセリングを学ぶ上で、皆様の参考になれば幸いです。
前回に引き続き、理事の吉田みどりさんです。
pas à pas(一歩一歩)第3回「ケアについて」吉田 みどり
セルフ・カウンセリングに出合ってから、ずいぶん時間が経ちました。
今、私は、「ケア」という言葉に興味を持つようになりました。
実は「ケア」という言葉にあたる日本語はなく、世話をするというような狭義の意味で理解されています。
まだ模索されている言葉なのです。
本来は、人が生きる意味にまで広げて、大きくとらえている言葉です。
人間の関係しあう場面なら、すべてに当てはめて使える意味を持っています。
たとえば、「ケア」という言葉の本質を自分の息子を育てる場の中に取り入れて考えたアメリカの学者がいました。
親が抱く理想を押し付けるのでなく、息子が本来持っている人生を育てるために、自分はどう寄り添うか、その人がその人であるために、その人になるために、どう関わるか・・などの考察でした。
ケアされるものとケアするものの両者が、成長していく「ケア」を考えていました。
私などは、セルフ・カウンセリングに出あう前までの自分の押し付けていた子育てを思い出すと、胸が痛むのでした。
「ケア」は成長する場面ばかりでなく、認知症の親の介護など、辛く、困難なケースもあります。
そんな場合でも、人は変化し合ってゆくことができます。
「ケア」は、一方から一方へ押し付けるものではないのです。
私自身、母の看取りの半年の間に経験したお互いの心の交流に感謝しています。
母娘だからいろいろありましたが、私たちは和解という成長をしたのだと思いました。
セルフ・カウンセリングマインドの落ち着きが母に伝わったのだと思っています。とすると、「ケア」という言葉は、「セルフ・カウンセリングによる交流」という言葉に置き換えてよいのではないか、と私は考えています。
あるがままの自分とあるがままの他者の交流を意味している言葉だなと思うからです。
コメントをお書きください
関香澄 (火曜日, 16 8月 2022 19:05)
ケア
あるがままの自分とあるがままの他者の交流を意味している言葉と思うから
私は母の介護をしている時
ケアを深く考えていませんでした
母が生きている時にわだかまっていた事を話すことができ、
わかってもらえたことは幸せです。
亡くなる時期を言われてから、
自分の心に耐えるのが、辛くって逃げていた部分がありましたが、
なんとか耐え、
母からありがとうと言われたことを思い出します。
私にとっては、そのことがケアだったのかなと思います。
吉田みどり (金曜日, 19 8月 2022 15:55)
関香澄様
関さんにとってのケアでは、
お母上からの「ありがとう」の一言を受け取ることができたこと、幸せですね。
お別れの悲しみと辛さはあるけれど、感謝の気持ちの交流も持たれて、大切な時間を過ごされたのですね。
心にぽっと思い出すことで、逝ってしまった方と変わりなく繋がっていると感じます。
私は、親を見送ってから、お墓参りや祈りの時を大切に感じるようになりました。
ただ年を取ったからとも言えますが、心の中でセルフ・カウンセリングをする時間になっているように感じています。
東 由紀子 (金曜日, 19 8月 2022 16:10)
いつも心に寄り添う人でありたいです。いつ何が起きるかわからない。大切に日々を過ごしますね。
吉田 みどり (金曜日, 19 8月 2022 22:15)
東 由紀子様
コメントありがとうございます。
そうですね、“いつも心に寄り添う人でありたい〝と私も思います。
このコメントを拝読して、康麿先生が言われた「人の為に生きるというより、人と共に生きることが大切です。」という言葉を思い出しました。
吉田 みどり (土曜日, 20 8月 2022 01:20)
東 由紀子様
コメントをありがとうございました。
そうですね、
“いつも心に寄り添う人でありたい〝と私も思います。
私は、このコメントを拝読して、康麿先生が
「人の為に生きるより、人と共に生きることが大切です。」と教えてくださった言葉を思い出しました。
日々を大切にお過ごしください。